「電力の鬼」と呼ばれた偉人、松永安左エ門の功績をたどる-1

「電力の鬼」と呼ばれた偉人、松永安左エ門の功績をたどる

長崎県壱岐島出身ので「日本の電気王」、「電力の鬼」と称された松永安左エ門(やすざえもん)(1875~1971)。政治、経済界など、多方面に大きな影響を与えたその生涯と功績は、壱岐市石田町にある松永記念館に数々の貴重な品と共に伝えられています。
安左エ門がどんな人物だったか、どんな功績があるかを松永記念館の名物管理人の定村さんにお話を伺いました。

松永安左エ門の生い立ち

明治8年に壱岐市石田町の旧家に生まれた松永安左エ門は、福沢諭吉の「学門のすすめ」を読んで感銘を受け、14歳で壱岐を出て慶応義塾へ入塾しました。諭吉の朝の散歩に随行する中で、民力重視の教えが人生の大きな基盤を作りました。
その後、父の死去によって、壱岐に戻り家業を継ぐが3年で廃業を決意。慶応へ復学しましたが、卒業を待たず中退し、日本銀行に就職することになります。
銀行を1年で退職し、自らの会社経営を始め、材木商や石炭業をはじめとする様々な事業を展開し、のちに九州電気株式会社を設立。九州から関西、東海道の電力会社を次々と傘下にしていきました。

7割もの値上げ「電力の鬼」

終戦を迎えた昭和20年、GHQの支配下となった日本は、電気事業再編のリーダーとして、この時70歳の安左エ門に吉田内閣が『いまこの時代に電力事業ができるのはあの男しかいない』と白羽の矢を立てました。
「電力さえ安く豊富に供給すれば、日本人は自分で産業を興せる。そして国は豊かになるんだ」という信念の元、安左エ門は、現在の電力事業の型である「九電力体制」構想を立て、他の委員や財界人、GHQとも対立しながら、根気強く説得し続け、採用にこぎつけました。
民営化した電力会社の状況改善、更なる電力の供給のため、安左エ門は値上げ幅約7割増という前代未聞な電気料金の値上げを断行し、このことから「電力の鬼」と呼ばれました。世間からは常軌を逸した値上げに猛反発を受けましたが、値上げの先にある“電源開発を含めた電力事業の真の自立”を目指し、決して信念を曲げようとはしませんでした。これにより、電源開発が加速し、値上げから2年を経ないうちに、全国の総発電量は約3割も拡大し、日本の高度成長期を支えていきました。
晩年は奈川県小田原の自宅で茶道を楽しみながら静かな暮らしを送りますが、多くの政治家、実業家が90歳を超えた老人に相談に訪れ、日本の復興に影響を与え続けました。

現場で働く人々を重んじ、謙虚で質実な人柄

安左エ門は、「徹底した現場主義」の人でもありました。77歳の時にダムの建設計画の際にも、現場へ向かい、自動車が入れないような場所にある粗末な小屋に泊まり、ドラム缶の風呂に入って、第一線で働く工事現場の人たちの苦労を味わいました。

戦後の叙勲制度復活後の最初の叙勲者として、時の首相である池田勇人が「勲一等瑞宝章」の叙勲を打診した際には、「人間の値打ちを人間が決めるとは何ごとか!」と、安左エ門は激昂して断ったと言います。不本意ながら叙勲を受けることになりますが、抗議の意志を示すため、叙勲式典は欠席しました。遺言状にも「勲章位階、これはヘドが出る程嫌いに候」と死後を含め全ての栄典を辞退すると書き遺しました。

この遺言状は逝去する10年前に書かれたもので、松永記念館に直筆で残っています。「財産はセガレおよび遺族に一切くれてはいかぬ。彼らがダラクするだけです。(衣類などカタミは親類と懇意の人に分けるべし、ステッキ類もしかり)」と書かれてあり、安左エ門の人柄を思わせるものになっており、見応えがあります。

58歳で茶道と出会った耳庵(じあん)

慶応義塾の門下生として知り合った小林一三(阪急グループの創始者)から「和敬静寂」の精神を学んだ安左エ門。耳庵(じあん)と号し茶人としても「近代の三茶人」のひとりと称され、茶器や美術品を多く集めました。
戦後は茶器を寄贈するなど私財を捨てて、小田原の三間しかない家に隠居し、茶道を究めました。

松永安左エ門の死後、安左エ門が収集した茶道具、仏教美術など重要文化財20件を含む371点のコレクションが、福岡市美術館に寄贈されています。福岡市美術館では古美術の「松永記念館室」にて1~2か月ごとにテーマを変えて展示されています。コレクションは茶器や掛け軸のみならず、弥生時代の土器やギリシャ時代の壺、シルクロードの出土物まで多岐にわたり、安左エ門の審美眼・歴史観に驚かされます。
 

安左エ門の生きた証を今に伝える「松永記念館」

松永記念館は安左エ門の功績を伝えるため、安左エ門が亡くなった1971年(昭和46年)生家跡に建てられました。
建物入口には、福博電気軌道の懐かしい電車が置かれ、館内には身の廻りの品や、親交のあった福沢諭吉、後藤新平、犬養毅首相らと交わした書等が展示されています。
また中庭には、西日本鉄道の路面電車や、長崎平和祈念像を制作した彫刻家・北村西望による松永安左エ門像が置かれ、安左エ門の人柄や功績のみならず近代の歴史を直に感じられる空間です。

止まらない定村さんの熱い解説!!

そして、今回お話を伺ったのが、安左エ門を知り尽くした記念館の名物管理人、定村さんです。

田口:はじめて記念館を訪れましたが、安左エ門の生涯を知るとより見ごたえありますね。
定村:そうでしょう。知らない方も多いと思いますが、文字通り近代を支えた偉人ですよね。
   例えば、戦後、日本を復興させてきた数々の施策、たとえば田中角栄の
  「日本列島改造論」などの原案はほとんど安左エ門の構想だったと言われています。
田口:日本の政治の根幹にも関わっていたということですか!
定村:あとは館内に入ってすぐの場所に設置されている「電力中央研究所」のパネル。
   これは現代に繋がる安左エ門の当時の構想を一般の人にもわかりやすく伝えるために
   作ったものだけど、いかに安左エ門の構想が現代から見ても優れていたか
   わかると思います。
田口:先見性も国際感覚も優れていたということですね!
定村:それから、実はこの記念館の入館料は、開館した当時から変わっていないんですよ。
田口:え!開館したのは昭和46年…50年も前ですから、物価も相当違いますよね。
定村:そう。今でも大人100円、中学生以下50円。
   現在の価値に換算すると大人400円程度かな。
田口:思い切っていますね…
定村:これも安左エ門の人柄を示すものの一つですね。どなたにも気軽に見ていただきたい、
   近代の歴史を知ってもらいたい、そんな思いが込められた価格設定です。
田口:亡くなってからもその信念がぶれずに引き継がれていくって、すごいことですね。
定村:それだけ、周りの方々、多くの方々に信頼されて影響を与えてきたということですね。

定村さんの活動

定村:安左エ門は現代の企業家にも多くの影響を与えています。
田口:どういうことでしょう?
定村:例えば、企業の支社長会の団体がほぼ毎年来館しています。
   安左エ門の近代の偉業はもちろん、経営者、リーダーとしての才覚は見習うべき・学ぶ
   べきところがたくさんある。企業の上層部を担う方々が企業研修や社員旅行として
   安左エ門の生き様そのものを学びに来ているんですね。
田口:なるほど。これからを担う子どもたちにも良い勉強になりそうですね。
定村:まさに、私どもはその活動を長年続けています。
   市内の小学生対象に社会科学習も行っています。
   でも、子どもたちにとっては、少し難しい内容でしょう?なので私は、
   「今は、名前を覚えるだけで良い。ただあなたたちが、大人になる前に必ずもう一度
    来館して欲しい。」と伝えています。
田口:今は無理でも、成長して興味を持つことはありますよね。
定村:そう。高校生や大学生になった時に、「こんな人いたな」と思い出して、改めて
   学びなおしてくれたら嬉しい。きっと社会人になった時に役立つはず。
   働くということ、社会の一員として社会に貢献する意味も安左エ門が教えてくれます。

来館を終えて

定村さんの解説を聞いていると、まるで一本の映画作品を見ているかのようで、安左エ門が戦後日本の高度経済成長の礎となる電力事業を通し経済・政治のあらゆるシーンに登場し多大な影響を与えた人物であることを実感できます。定村さんの情報収集力・分析に満ちた解説はとてもドラマティックで、記念館を出たあともしばらく不思議な高揚感が残りました!
2021年は、安左エ門没後50年となる節目の年だそう。ぜひこの機会に、記念館を訪れ定村さんのお話を聴いてみてはいかがでしょうか?
 

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