万葉公園 まんようこうえん

万葉集ゆかりの地

736年、新羅への使節団「遣新羅使」の一員だった雪連宅満(ゆきのむらじ やかまろ)が新羅へ向かう途中、石田町の印通寺地区で病死。
石田町内に葬られたとされ、万葉集には雪連宅満の死を偲んだ歌「石田野に 宿りするきみ 家人の いづらとわれを 問はばいかに言わむ」があり、黒木城跡を整備して作った公園にその歌碑が建立され、万葉公園と名付けられました。
公園の眼下には遣新羅使一行が入港した印通寺港や雪連宅満の墓地のある丘、弥生時代の環濠集落跡である原の辻遺跡などが見えます。
 


エリア
印通寺港周辺
カテゴリー
歴史・文化 公園・温泉
旅のテーマ
歴史・神話の世界に触れる

基本情報

住所 〒811-5212 長崎県壱岐市石田町本村触1-1
アクセス 印通寺港から車で5分
駐車場 駐車場あり
備考 トイレあり

「令和」と「万葉集」、そして壱岐「万葉公園」のゆかり

2019年5月1日、元号が「平成」から「令和」に変わりました。「令和」の典拠は「万葉集」の「梅花の歌」32首の序文であることが知られていますが、この歌は大宰府長官であった大伴旅人の邸宅にこの壱岐からの2名(壱岐(いき)守板(のかみはん)氏安(じのやす)麻呂(まろ)と壱岐目(いきのさかん)村(そん)氏(じの)彼方(おちかた))を含む西海道(九州)の官人を招いた宴の席で詠まれました。
なお、この「梅花の歌」32首のうちの1首は次の壱岐目村氏彼方の歌であり、この歌を刻んだ歌碑は勝本町布気触に建立されています。

また、この万葉公園内に建立されている歌碑に刻まれた次の歌は、天平8(736)年の遣新羅使の一員で、新羅へ向かう途上、石田町で病死した雪連宅(ゆきのむらじやか)満(まろ)の死を偲んだ歌で、万葉集巻15に収められています。

*雪連宅満は、亀の甲を焼いて吉凶を占う卜部(うらべ)という安全な航海に欠かせない存在で、先祖は壱岐出身者。

令和ゆかりの地・壱岐「万葉公園開園50周年記念イベント」
令和元年11月17日、万葉公園の開園50周年と新元号「令和」を祝う記念イベントを開催しました。この海と九州本土を臨む場所を舞台に、犬養万葉記念館(奈良県)の岡本三千代館長や大宰府万葉会の皆様による「万葉うたがたり」、地元参加者の皆様による創作短歌等をご披露いただき、太古の万葉の歌を詠んだ当時の人々の心に思いを馳せました。

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