島内に150社以上! 神々が宿る島「壱岐」の神社巡り-1

島内に150社以上!神々が宿る島「壱岐」の神社巡り

日本最古の歴史書『古事記』に登場する国生み神話によると、伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の夫婦神によって作られた8つの島のうち、5番目に生まれたのが「伊伎嶋(壱岐島)」といわれています。『古事記』ではまた、壱岐は「天比登都柱(アメノヒトツバシラ)」とも呼ばれ、天地を結ぶ交通路としての役割を担うなど、古来より神々とのゆかりが深い場所として語られてきました。現在でも、神社庁に登録されているものだけで150以上もの神社がある壱岐は、まさに神々の息吹を身近に感じることができる場所なのです。神様のパワーにふれ英気を養うのもよし、神代の歴史ロマンに浸るもよし、思い思いに壱岐の神社を巡ってみませんか? 神社巡りをより楽しんでいただけるよう壱岐市オリジナルの御朱印帳も販売しています。御朱印帳について詳しくはこちら(http://shrine.ikikankou.com/goshuin/)をご覧ください。

海から参道が現れる「小島神社」は、人気のパワースポット!

天照大神(アマテラスオオミカミ)の弟神である須佐之男命(スサノオノミコト)や、母神である伊邪那美命(イザナミノミコト)などをお祀りし、恋愛成就や縁結び、商売繁盛、開運などのご神徳があるという「小島神社」は、島全体が小枝一本持ち出すことが許されない神域です。弥生時代には一支国の王都・原の辻を訪れる古代船が往来したといわれる内海湾に浮かぶこの小島は、太陽と月の引力によって潮がひいた干潮時のみ海の中から参道が現れることから、現代では“壱岐のモン・サン・ミッシェル”と呼ばれ人気のパワースポットになっています。参道は満潮時には海底にあるため、潮がひいたばかりの時間帯には逃げ遅れた海中生物と出くわしたり、恋が叶うとの噂もあるハート型のストーンを探したりするのも参拝の楽しみの1つ。御朱印が欲しい場合には、事前に申し込み(TEL.0920-45-1263)しておくと用意していただけます。

願い事を叶える「住吉神社」の夫婦楠

壱岐の総鎮守である「住吉神社」は、一支国の王都・原の辻で栄えた農耕文化を育んだ幡鉾川の源流域にあり、付近は古代から水の湧き出る神聖な場所とされていました。明治4年には境内の池から神功皇后の三韓出兵に由来するとされる17面の神鏡が発見されたほか、室町時代に制作された絹本着色高野四社明神像など貴重な文化財があり、現在でも毎年12月20日には壱岐の伝統神事「壱岐大大神楽」が奉納されるなど、長崎県下でも筆頭の由緒ある神社です。神前式ができることから壱岐の人々には縁結びの神様として親しまれていて、儀式殿の前にある雌雄2つの幹に分かれた「夫婦楠」の周りを男性は左回り、女性は右回りに1周すると良縁に恵まれると信じられています。

300体以上の石猿が参拝者を迎える「男嶽(おんだけ)神社」

明治時代までは山全体が御神体とされていた男岳山の山頂にある「男嶽(おんだけ)神社」。御祭神の猿田彦命(サルタヒコノミコト)は導きの神として知られ、商売繁盛、学業成就、出世開運、恋愛・縁結びなど、あらゆる物事を良い方向に導くといわれています。願いが叶った参拝者が、お礼に猿の石像を奉納し、その数は300体以上! その様はまるで来た人を神代の昔へ誘うかのような不思議なオーラに満ちています。さらに拝殿裏にある御神体の岩には、コンパスの針が正常に動かない磁体がありパワースポットとしても注目されています。神社の入口にある展望台からは、海が見渡せるほか、男岳山と対をなす女岳山を望むことができます。

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男嶽神社と合わせて巡りたい「女嶽(めんだけ)神社」-1

男嶽神社と合わせて巡りたい「女嶽(めんだけ)神社」

男嶽神社のある男岳山から、ダムを隔てて向かい側にある女岳山には「女嶽(めんだけ)神社」があります。御祭神は天岩戸の神話で洞窟に隠れてしまった天照大神(アマテラスオオミカミ)を大胆な舞で誘い出した女神・天鈿女命(アメノウズメノミコト)。天鈿女命はのちに男嶽神社の御祭神である猿田彦命と結婚し夫婦神になることから、男嶽神社と女嶽神社を合わせて巡ると良縁に恵まれるといわれています。社殿から少し離れた場所には御神体の「巣食石(スクイイシ)」があり、こちらも男嶽神社の御神体と同様、コンパスの針を狂わすパワースポットとして注目を集めています。御朱印をご希望の方は、男嶽神社の宮司さん(090-5400-2581)までご連絡ください。

壱岐の一ノ宮「天手長男(あまのたながお)神社」

天照大神(アマテラスオオミカミ)が生んだ5皇子の長男・天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)などをお祀りし、壱岐で最も格が高い一ノ宮とされる「天手長男(あまのたながお)神社」は、鎌倉時代の元寇などによって所在が不明になっていましたが、江戸時代に国学者の橘三喜の調査で鉢型山の山頂に建てられました。調査時にここから発掘された石造弥勒如来坐像は、日本で3番目に古い石像として国の重要文化財になっています。県道沿いにある一ノ鳥居をくぐると、そこからはまさに神域。心を鎮めながら鬱蒼とした木々が生い茂る137段の石段を登ると、途中にニノ鳥居、三ノ鳥居があり、山頂に社殿が建っています。拝殿脇のお堂には子どもの無病息災を願い、産着やおもちゃなどが奉納されています。

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天の川伝説がある「天手長比売(あまのたながひめ)神社跡」-1

天の川伝説がある「天手長比売(あまのたながひめ)神社跡」

天手長男神社から川を隔てて南の方角には、栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメノミコト)、稚日女命(ワカヒルメノミコト)、木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)、豊玉姫命(トヨタマヒメ)、玉依姫命(タマヨリヒメ)の5柱の姫をお祀りしていた「天手長比売(あまのたながひめ)神社跡」があります。天手長男神社に祀られている男の神様と天手長比売神社の女の神様は、川を隔てて年に一度だけ逢瀬を楽しんでいたという民話「天の川」の言い伝えも残っています。その後、天手長比売神社は天手長男神社に合祀されたため、現在は苔むした鳥居しか残されていませんが、なんとも言えない神秘的な場所で、パワースポットとしても注目されています。また、天の川伝説にちなんで天手長比売神社跡と天手長男神社を合わせてお参りすると良縁に恵まれるともいわれています。

1300年以上の歴史を持つ「聖母宮(しょうもぐう)」

奈良時代初期に建立された「聖母宮(しょうもぐう)」は、およそ1300年以上にわたり島の北端の町・勝本から国家鎮護の祈りを捧げてきた歴史ある神社です。勝本の町は、三韓出兵の際に神功皇后がここで順風を待ったことから「風本(かざもと)」と名付けられ、のちに戦に勝って戻ってきたので「勝本」になったという伝説があるほど神功皇后とのゆかりが深く、聖母宮も神功皇后をご祭神としてお祀りしています。これらのエピソードから、航海安全や勝負事について祈願する参拝者が多く、また三韓出兵時には身重だった神功皇后が、帰国後無事に応神天皇を生んだということで子宝や安産の神様としても信仰されています。境内には、江戸時代の平戸藩主や、当時栄華を極めた鯨組の当主から寄進されたという極彩色の本殿や、パラオ共和国から贈られた大シャコガイの手水鉢のほか、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に加藤清正が寄進したと伝わる門や石垣などが残り、歴史ファンにも嬉しい見どころがいっぱいです。

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町をあげて賑わう「聖母宮大祭」-1

町をあげて賑わう「聖母宮大祭」

毎年10月10日から14日にかけて、勝本の町は「聖母宮大祭」で賑わいます。10日は朝早くから駕籠囃子が奏でられると、神輿船に乗せられた御神体が聖母宮から対岸にある御仮堂に移され、14日には御幸船と呼ばれる2艘の紅白の船が競い合って御仮堂の御神体を迎えにいきます。この競漕は「舟ぐろ」と呼ばれ、紅が勝てば大漁、白が勝てば豊作になるとの言い伝えが残されています。翌15日は、大漁祈願後、「勝本港まつり」へと続き、大漁旗を掲げた漁船パレードや、午後からは仮装パレードなどが行われ、港町らしい活気に包まれます。

巨大なシンボルが目をひく和合の神様「塞神社」

天岩戸の神話で天照大神(アマテラスオオミカミ)を大胆な舞で誘い出した女神・天鈿女命(アメノウズメノミコト)が、のちに男神・猿田彦命(サルタヒコノミコト)と結ばれて、一体神になった猿女命(サルメノミコト)が祀られています。その逸話から良縁、安産、夫婦和合、性の病、子どもの守護などの祈願に訪れる人が多く、社殿にも男女の営みに関するものがたくさん奉納されています。拝殿脇にある巨大な男性シンボルと石像の御神体は、夕方になると明るく照らされて神々しい輝きを放ちます。宮司さんは常駐していないので、御朱印をご希望の方は事前に電話(TEL.0920-47-0675)でご予約ください。

「月讀神社」で月の神様のパワーを充電!!

うっそうと茂る森の中に佇み、神秘的なオーラをまとった「月讀神社」は、天照大神(アマテラスオオミカミ)の次に生まれた月讀命(ツクヨミノミコト)をお祀りする神社です。その御神徳は、天照大神に次いですべての願いが叶うといわれ参拝者が後を絶ちません。日本書紀によれば、阿閉臣事代(あへのおみことしろ)という人物が朝鮮半島の任那という国に派遣される際、壱岐島で月神が降臨して、あなたの土地で月神を祀ると良いことがあると言うので、西暦487年に壱岐の県主である忍見宿禰(おしみのすくね)が京都に月讀神社を分霊したといわれています。

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