日本遺産 国境の島 壱岐・対馬・五島~古代からの架け橋~-1

日本遺産 国境の島 壱岐・対馬・五島~古代からの架け橋~

【壱岐/対馬/五島 日本遺産認定ストーリー】
日本本土と大陸の中間に位置することから、長崎県の島は、古代より、これらを結ぶ海上交通の要衝であり、交易・交流の拠点でした。
特に、朝鮮半島との関わりは深く、壱岐は弥生時代、海上交易で一支国として栄え、対馬は中世以降、朝鮮王朝との貿易と外交実務を独占し、中継貿易の拠点や迎賓地として栄えた歴史が残っています。
経済や交通の発展により、中継地としての役割は希薄になりましたが、古代の史跡や城址、庭園等は当時の興隆を物語り、焼酎や麺類等の特産品、民俗行事等においても 日韓交流の痕跡が窺えます。
国境の島ならではの融和と衝突を繰り返しながらも、連綿と交流が続くこれらの島は、国と国、民と民の深い絆が感じられる稀有な地域であることから日本遺産に認定されました。

【日本遺産とは何?】
地域の歴史的魅力や特色を通じて、日本の文化・伝統を語るストーリーを国が日本遺産として認定し、ストーリーを語る上で不可欠な文化財群を国内外に発信することにより、地域の活性化を図るものです。 
本コンテンツでは、壱岐の構成ストーリー要素10点をご紹介いたします。
(全体では、対馬・壱岐・五島列島の27の文化財で構成されています)

《国指定特別史跡》①原の辻遺跡(はるのつじいせき)

長崎県で2番目に広い平野である「深江田原(ふかえたばる)」にある原の辻遺跡は、弥生時代から古墳時代の初め〔今から約2200年前から1650年前〕に栄えた国内を代表する弥生時代の環濠集落跡で、国の特別史跡に指定されています。 中国の歴史書『三国志』の中の「魏志」倭人伝に壱岐島は一支国として登場し、弥生時代における最先端の交易拠点として重要な役割を果たしていました。

一支国の王都を再現した原の辻一支国王都復元公園には、勾玉や土器、ガラス玉づくりなどの古代技術体験などができる原の辻ガイダンスがあります。

公園の散策をより楽しむには、この体験メニューがおススメです!弥生時代の一支国の王都を復元した公園内をガイドします高床式建物など当時の素材や工法を忠実に再現した建物を巡りながら園内を散策します。

【王都復元公園散策のお申し込み】
お申込み:一般社団法人壱岐市観光連盟
電話番号:0920-47-3700

《市指定史跡》②カラカミ遺跡

原の辻遺跡と共に栄えた弥生時代〔今から約2000年前〕の環濠集落跡です。 カラカミ遺跡は、交易を通じて様々な鉄製品や鉄素材を入手し、国内各地に鉄製品を供給する中継基地としてだけでなく、弥生時代を代表する鉄器生産の鍛冶工房として存在し、東アジア交易において重要な役割を果たしていた当時の様相を窺い知ることができます。(場所:壱岐市勝本町立石東触・仲触)

Column

日本最古イエネコの骨

イエネコ発祥の地、壱岐??

近年の発掘調査で、カラカミ遺跡の溝内からイノシシ、シカ、タヌキ、イヌ、ネズミ、イルカ、アシカなど動物の骨といっしょにイエネコの骨が発見されました。
これまでは、神奈川県鎌倉市の千葉地東遺跡(13世紀代)で見つかったイエネコの骨が日本最古の事例でした。
また、文献史料などからイエネコの伝来は8世紀に「経典」などをネズミの害から防ぐ目的で遣唐使が中国大陸から国内に持ち込んだのが始まりという説が一般的でした。
カラカミ遺跡から発見されたイエネコの骨は、実物資料としては約1、000年も歴史を塗り替える日本最古の事例としてだけでなく、イエネコの起源が古墳時代よりさらに500年も遡る弥生時代に渡来人が日本国内に持ち込んだことが判明したことから、イエネコ発祥の地??!として注目を集めています。

③内海湾(うちめわん)

内海湾は、「一支国」の王都・原の辻を訪れる古代船が往来した玄関口です。 江戸時代末期の1861(文久元)年に書かれた「壱岐名勝図誌」にも内海湾の様子が挿絵で描かれており、湾の入江の奥に広がる村に由来し“深江村”となっていることや内海湾に多くの船が往来していたことが記録に残っています。また、湾内には、小島神社へむかう通路が干潮時にのみ海中から現れる神秘的な島も存在し、時代を問わず人を魅了する場所となっています。

《国指定史跡》④壱岐古墳群

壱岐島内には、長崎県全体の約6割の古墳があります。280基の古墳のうち200基以上の古墳は6世紀後半から7世紀前半〔今から約1400年前〕に築造されました。 首長クラスの古墳の石室内からは、中国大陸や朝鮮半島の国々から認められていたことを物語る遺物が多数発見されており、海外の国々と精通した有力者が島内に存在して いたことを物語っています。

壱岐風土記の丘は、約20基の古墳が密集するエリアに造られた古墳館。古墳の概要や歴史のパネル展示のほか、古墳はどうやって作られたのかをジオラマ展示で分かりやすく紹介。江戸時代の百姓武家の民家を移築した古民家園もあります。 

古墳群の散策をより楽しむには、古墳群散策体験メニューがおススメです!古墳群を巡るコースをガイドがご案内します。

《国指定重要文化財》⑤原の辻遺跡出土品

原の辻遺跡からは10万点以上の遺物が出土しており、その中の1670点が国の重要文化財に指定されています。 原の辻遺跡からは、海を越えて「一支国」に持ち込まれた日本最古の蜻蛉玉、馬車に取り付ける青銅製の部品、棹秤に用いる青銅製の錘、国内唯一の人面石をはじめ、中国大陸や朝鮮半島で製作された土器や使われていた銅銭など、“東アジアとの交流の歴史”を物語る資料が数多く発見されています。

《国指定重要文化財》⑥笹塚古墳出土品

笹塚古墳は、基壇の上に墳丘を重ねた2段築造でつくられています。基壇となる部分は直径70メートル、高さ3メートル、墳丘の部分は直径40メートル、高さ10メートルです。 笹塚古墳からは、亀形飾金具をはじめ、杏葉、雲珠、辻金具といった金銅製の馬具類が数多く発見されています。馬具以外にも新羅土器が発見されており、朝鮮半島とのつながりを知ることができます。出土した資料のうち、162点は国の重要文化財に指定されています。

《国指定重要文化財》⑦双六古墳出土品

双六古墳からは、中国の北斉で製作された日本最古の二彩陶器、新羅で製作された土器、国内では2例しか発見されていない半円形のガラス製の蜻蛉玉、朝鮮半島でも発見されている金銅製単鳳環頭大刀柄頭などが発見されており、中国大陸や朝鮮半島との親交が深かったことがわかります。出土した資料のうち412点は国の重要文化財に指定されています。

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壱岐市立一支国博物館/長崎県埋蔵文化財センター

壱岐市立一支国博物館/長崎県埋蔵文化財センター

国指定特別史跡「原の辻遺跡」を展示の一部として取り入れたビューシアター、復元された古代船、市民の顔をモデルに160体の人形で一支国の生活を再現した一支国トピックなど展示場は発掘された土器などに触ることもでき、体感しながら楽しく学べる見ごたえのある博物館です。

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《市指定史跡》⑧生池城跡(なまいけじょうあと)

16世紀中ごろに松浦党の1人だった源壹(みなもとのいち)が築城されたとされる山城で、居城があった山頂を中心に二重の空堀や土橋を見ることができます。 生池城を居城とした源壹は、朝鮮王朝からの信頼も厚く、正式な交易が認められていたことが記録に残っています。また、1539(天文8)年に安国寺が行った「高麗版大般若経」の補修記録にも源壹の名まえが記されています。(場所:壱岐市勝本町百合畑触)

《国指定史跡》⑨勝本城跡

豊臣秀吉が朝鮮出兵〔文禄・慶長の役〕の際に築城した出城で、国の史跡に指定されています。壱岐島の最北端に位置する勝本浦の城山に、松浦鎮信(平戸)が中心となり、有馬晴信(島原)、大村喜前(大村)、五島純玄(五島)などの領主の協力によって築城されました。勝本城は、朝鮮半島に渡る兵士の食糧や武器などの補給や修理をする軍事基地の役割を果たしました。

 

⑩岳の辻(たけのつじ)

壱岐島最高峰(212.8m)の山で、頂上には古代より烽火台や遠見番所が設置され、国防の要衝として重要な役割を果たしてきたことが文献史料からみえてきます。 山頂には、1889(明治22)年5月に海軍水路部によって設置された「緯度測定標」があります。当時設置された緯度測定標のうち現存するのは、岳の辻にある石標とここから 眺望できる馬渡島〔佐賀県唐津市〕の番所の辻にある石標の2箇所だけであり、石標に刻まれた設置年の銘から岳の辻の石標が国内で最も古い事例であることがわかります。
※本コンテンツは、壱岐市教育委員会文化財課監修の資料に基づき一般社団法人壱岐市観光連盟にて製作したコンテンツです。

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